「人情」が見守ってきた梅田屋75年の歴史

梅田屋の創業は昭和20年(1945年)。昨年、創業75周年の節目を迎えた。今池駅から徒歩1分という好立地にそびえ立つ。初代オモニの時代から続く、八丁味噌ベースのタレが利いた鉄板焼肉、ホルモン鍋。梅田屋の「顔」と言っても良い。

オモニがお店を継いだのは1998年。この期間、在日同胞のみならず、数々の日本人のお腹を満たしてきた。著名人や有名アスリートもこの味を知る。

創業75周年を迎えた梅田屋の人情について、編集部が取材した。

初代オモニが残してくれた財産

戦後まもなく、今池の地で、梅田屋は産声を上げた。創業者は南栄淑氏の両親。在日同胞1世だ。アボジが他の仕事で多忙だったため、お店を主として切り盛りしていたのは、初代オモニであった。

店は連日賑わいをみせた。それはそうだ。あそこには、伝統の味があるから。鉄板焼肉とホルモンは、同胞のみならず、日本のお客にも好評だった。

南氏はそんな梅田屋を、そして店主であるオモニを、幼き頃からよく見ていた。オモニを「根性のオモニ」と振り返る南氏。どんなに多忙だろうと、どんなに辛かろうと、弱音は一切聞いたことがない。オモニはよく「塩を舐めても、白米を食べたような顔をしろ」、「自分の1円を尊く扱え」と言い聞かせた。今でも心に響く。そんなオモニを「隠れた英雄」とも記憶している。

総連の活動家や朝鮮学校の先生からは、食事代を請求することはなかった。また、日本人のお客にお願いして、在日朝鮮人の権利獲得のための署名を集めた。オモニにはオモニなりのやり方があったのだと、感じたらしい。先述のとおり、日本人のお客も大切にした。そもそもオモニには、日本人や朝鮮人との境界線はなかったのだ。

『人間はみな平等』

『朝鮮人も日本人も良い人もいれば悪い人もいる、日本の人と敵対するべきではない』

こんなエピソードがある。むかし、名古屋工業大学のある学生が、空腹を満たすために、よく梅田屋を訪れた。苦学生であったため、ほんの少し注文しては、間もなく帰路につく。そんな学生を横目に、オモニは、他のお客が飲み残した瓶ビールを、少量ずつ蓄えては冷蔵庫に保管し、学生が来店するたびに、無償で差し上げたそうだ。学生はその後、大手フィルムメーカーに勤め、成長した姿で梅田屋を訪れた。「若者を大切にする人情の人」とオモニに感謝した。

オモニは、梅田屋の常連客や、そこでアルバイトをしていた若者から手紙を何枚ももらったそうだ。今でも自宅に大切に保管されている。南氏はそれらをひとつに、記念文集をつくる計画だったが、結局果たせずじまい。当時常連のひとりであったT氏は、自身を貧乏学生としながら、「梅田屋のオモニ」という題で、手紙を届けた。そこに書かれたあるフレーズに目が離せなくなった。

『オモニ、そして梅田屋の存在は、すでに失ってしまった「日本の心のふるさと」、「母」そのものであると僕はいつも思っている』

オモニが脳梗塞で入院をしたのは70歳を過ぎた頃。「自分の代で終わりにしよう」と決めていたとのこと。辛い経験をさせたくなかったのかもしれない。南氏自身も躊躇する面もあった。だが、2代目オモニとして梅田屋を継ぐよう、背中を押してくれたのは、夫である鄭大基氏だった。

そして1998年、初代オモニの「人情」を継承すべく、2代目オモニとして南氏は立ち上がった。

2代目オモニはバリバリの活動家

家族を支えながら、2代目オモニ(以下オモニ)は、初代から続く伝統の味と、教えを忠実に守ってきた。朝鮮人も日本人も平等に接した。著書<在日二世の記録>では、日本の子供たちとの交流について記されている。オモニは、「今池子ども会」という組織を立ち上げ、一緒に遠足に出掛け、冬にはクリスマス会を開き、日常ではボランティア活動を通して教育し、精一杯の人情で子どもたちと接したそうだ。純粋に子どもが好きだった。日本の子どもであっても変わらない。

(この子たちが大人になったとき、ああ近所に朝鮮のお姉さんがいたなって思い出したら、きっとそれは悪いイメージではないだろうな・・・)オモニは、そう感じた。

 お店を切り盛りする傍らで、オモニは名中支部女性同盟委員長として、長年務めてきた。地域同胞社会のために、知恵を捧げた。地域に住む若い母たちとの交流も欠かさない。朝鮮学校の支援活動にも誰よりも意欲的に取り組んだ。

名古屋朝鮮初級学校に通う園児学生たちへよくプレゼントを渡し、喜ばれた。プレゼントされたもののひとつ、「チウゲ(消しゴム)」は、成人した今でも手に持っているそうだ。今年3月に愛知朝高を卒業した学生たちも、「チウゲ」をよく記憶する。園児学生たちの「チウゲ、コマッスンミダ!」という挨拶が何よりも嬉しかった、オモニはそう語る。

朝鮮高校サッカー部が全国大会予選で勝ち上がれば、梅田屋で激励会を開き、選手たちを鼓舞した。その発展上の企画として、最近「梅田屋カップ」が生まれた。元Jリーガーの安英学選手を招いた、朝鮮高校を卒業する学生たちのためのサッカー大会だ。余談ではあるが、安英学選手もオモニにお世話になったアスリートのひとりである。

オモニは、バリバリの活動家である。その集大成は、自身が発起人となり開催した、朝鮮学校チャリティーコンサート「ウリエノレ」。今まで計3回開催した。地域に住む老若男女、活動家や経済人、すべてを網羅した大イベントだ。

この大規模のイベント、発端は2002年「拉致問題」だったという。直後、在日同胞社会では、朝鮮民族を匂わせる雰囲気を敬遠するような空気が流れていた。当時のある若者がオモニに相談したらしい。「オモニ、何ですか。この雰囲気は。最近全く、ウリノレ(私たちの歌)を聞かなくなったじゃないですか。私たちが悪いことをしましたか。」

その彼、朝高時代は相当なワルだったそう。しかし、民族の誇りは忘れたことはない。聞く話によれば、車の中は、いつも共和国が誇る「ウリノレ」がガンガン流れていたそう。オモニもこの言葉に「ハッ」となったそうだ。

記念すべき第1回目は歌劇団を招き、「ウリノレ」一色に染まった公演にした。2016年には第3回目を迎えた。千葉県の朝鮮学校に通う学生がとても歌が上手いと聞いた。オモニは、彼をあたたかく招待し、スペシャルゲストとして出演させることに成功。会場には割れんばかりの大拍手が溢れ、感動の涙を誘ったのは言うまでもない。

その夜、出演者、関係者、全員梅田屋に揃った。述べ100名以上。貸切となった梅田屋は歓喜のウリエノレが留まることを知らなかった。「在日朝鮮人として生きてきて、本当によかったと実感した」と皆は口を揃えた。

サンキュー!サンキュー!オモニ!!

藤田保健衛生大サッカー部は、医学部のサッカー大会(西日本医科学生総合体育大会)で決勝戦に進出した。ヨンチョルが大学6年のときである。ヨンチョルとは、オモニの息子である。医者として病院に勤務し、青商会活動に熱心に励む。3児の父であり、2021年4月に長女が朝鮮学校に入学する。

立派に育ったヨンチョル、朝鮮高校時代は「サッカー馬鹿」だった。全国高校サッカー大会愛知県予選ではベスト4を経験した。オモニは「小学校の頃は優秀だったけど、中高時代は全く勉強しなかった」と振り返る。だが、それほど心配はしていなかったそう。男はスポーツをやってなんぼ、オモニはそう考えていたからだ。

ヨンチョルは高校を卒業後、浪人生活を経て、藤田保健衛生大学へ進学し、サッカー部にも入部した。初めて経験する日本人とのサッカー。不安はあったらしい。しかし一瞬で吹き飛ぶ。オモニの商売理念に影響を受けていた証かもしれない。当時51名在籍していたサッカー部。ヨンチョルはレギュラーのポジションを確保した。

そして迎えた大会。チームは一丸となり、勝ち進んだ。その陰で、52番目の選手として、チームに貢献するスーパースターがいたのをご存じだろうか。オモニだ。大会期間は精神的支柱として、チームに帯同した。声が枯れるほど応援した。グルメ担当も務めた。試合後に選手らにキムチやチャンジャを振る舞った。「美味しい!美味しい!」と選手たちは頬張った。

食材がなくなるスピードは早いもの。オモニは、堺の肉屋まで走り、40人前の食材を購入。それを焼き、選手たちへ提供。決勝戦前夜のこと、オモニは大胆な行動に出る。次は鶴橋に向かった。そこで豚肉6キロを購入。ホテルの厨房で切って、チョジャンをつけて食べさせた。

藤田保健衛生大学サッカー部は、見事に優勝を成し遂げた。歓喜に溢れる選手たち。歓喜の抱擁を互いに交わす。束の間、応援団から叫び声が聞こえてきた。最初は、何を言っているのか全く分からなかったとオモニは振り返る。耳をすまし、ようやく理解できた。彼らの叫び声とは、

『サンキュー!サンキュー!オモニ!!サンキュー!サンキュー!オモニ!!』

オモニは選手たちに胴上げされ、歓喜の宙に舞った。

「彼らは将来ドクターになる。どの病院に行っても、大学時代のサッカー大会で、在日の鄭先輩とあのオモニもいたなーって思い出してくれると嬉しい」

オモニから愛知県青商会へ

新型コロナウィルスの影響で時短営業や休業を強いられ、75年の歴史を誇る梅田屋も、大変な時期だった。ただ、時代に沿ってやり方を変える必要性はあるし、生活様式が変わるのであれば、それに対応できるようにしなくてはいけないと悟った面もある。休業日は日曜日から平日に変更した。日曜日に気軽に訪れてほしいとの思いだ。

さて、最後にオモニから愛知県青商会へのメッセージを預かった。

『高齢化社会が急速に進む中、青商会活動に励む会員たちの役割は計り知れないほど大きいです。同胞社会の中で、力もあり影響力もあり経済力もある青商会は、全てを握っているといっても過言ではないと思います。

こんな厳しい情勢だからこそ、ウリハッキョのために、全力を果たしてほしいです。そして朝鮮人として生まれてきて、本当によかったと思えるような子を育てるため、青商会が何を出来るのか、常に考えて行動してほしいと思います。

新型コロナウィルスの影響で、今年予定していた「第4回ウリエノレ」は延期となりました。しかし、間違いなく近い未来に開催します。その時は、名中地域の青商会だけではなく、愛知県青商会が一体となり、「第4回ウリエノレ」のために協力してくれることを願います。』

2019年10月からの活動を振り返る〜地域青商会編〜

「モア、愛知県青商会!」というスローガンを掲げ、会員たちの力を集めて活動を盛り上げていった19期前半。

2020年は、コロナによって出来ることや出来ないことが、いろいろありました。

その中で、会員たちが知恵と工夫を出し合って行われた、各地域の活動を振り返ります。

2019年10月

10月6日、中川地域で敬老旅行を企画。

10月23日、豊橋地域青商会が中心となり、金剛山歌劇団豊橋公演を開催。

11月

11月10日、名中地域第4回定期総会を開催。

11月16日、南地域第9回定期総会を開催。

同じく11月16日、名港地域拡大幹事会を開催。

12月

12月1日、中川地域第6回定期総会を開催。

同じく12月1日、岡崎三河地域第6回定期総会を開催。

12月14日、名駅名西地域第7回定期総会を開催。

12月22日、尾張地域が忘年会を開催。

2020年1月

1月11日、東春守山地域第5回定期総会を開催。

1月26日、豊橋地域第20回定期総会を開催。

同じく1月26日、尾張地域第8回定期総会を開催。

2月

2月2日、瀬戸豊田地域が第7初級学校の美化事業を行う。

2月16日、南地域で豆まき餅つきイベントを開催。

3月

南地域、ファブリックデコレーションの事業を開始。

3月19日、南地域でゴルフ練習会をスタート。現在、定期的に練習会が行われている。

東春守山地域、卒業生達に卒業記念プレゼント贈呈。

4月

南地域、南・東海知多同胞宅にマスク配布。

5月

5月29日、南地域でオンライン飲み会を開催。

6月

南地域、新入園児・新入生にプレゼント贈呈。

7月

7月12日、名中地域で「青商会と行こう!東山動植物園2020」を開催。

8月

8月28日、名駅名西地域が神奈川県の神港地域と、第1回オンライン交流会を開催。

9月

第24回中央総会で、尾張、南、名中地域が優秀KYC賞を受賞。東春守山、豊橋地域が飛躍KYC賞を受賞。

10月

10月4日、瀬戸豊田地域が第7初級学校の美化事業を行う。

11月

11月21日、南地域第10回定期総会を開催。

12月

12月11日、名駅名西地域が神奈川県の神港地域と、第2回オンライン交流会を開催。

最後に

今回紹介した活動以外にも、名港地域は、名古屋初級学校の一口3,000円運動に参加。

尾張地域では、地域の子供たちのための「愛アイ応援金」や、月に1回サラン学園の開催。

南地域では、定期的に南支部周辺の清掃が行われています。

現在は、コロナ禍の中でも、幹事会や定例会などを工夫して行なっています。

2021年、25周年を迎える愛知県青商会は、引き続き地域の活動を活性化させていきます!

2019年10月からの活動を振り返る〜県青商会編〜

19期がスタートした2019年10月から、愛知県青商会では様々な活動を行ってきました。

今回は、その活動をまとめてみました。

2019年10月

10月5日、愛知県青商会第19回定期総会を開催。

12月

12月6日、KYC愛知建設業交流会を開催。

交流会の様子はコチラ。

2020年1月

1月14日、第1回アイチ DE モア〜30代の食事会〜を開催。

当日の様子はコチラ。

1月25日、朝鮮大学校の趙丹先生をお招きして、KYC愛知ミニビジネスセミナーを開催。

「若手同胞商工人のチャレンジ」というテーマで、講義をいただきました。

1月28日、KYC愛知IT関連業交流会を開催。

交流会の様子はコチラ。

1月29日、KYC愛知飲食業交流会を開催。

当日の様子はコチラ。

2月

2月23日、名古屋初級学校講堂にて、中部ブロック青商会役員研修会が行われました。

当日の様子はコチラ。

3月

情報誌「フルスロットル愛知」を創刊。

情報誌のバックナンバーはこちら。

4月

新入生に制服、新入園児に防災頭巾をプレゼント。

先生たちの新型コロナウイルス感染症の予防として、愛知県下のウリハッキョに合計5000枚のマスクを寄贈。

愛知県青商会の経営企画部で、【KYC愛知がオススメする飲食店】ページを作成。

KYC愛知がオススメする飲食店はコチラ。

4月18日〜5月31日まで、愛知県青商会web美術展覧会を開催。

web美術展覧会開催の経緯などはコチラ。

なお、web美術展覧会は、9月に行われた第24回中央総会で、特別KYC賞を受賞しました。

4月24日、第2回アイチ DE モア〜オンライン飲み会・交流会〜を開催。

オンライン飲み会の様子はコチラ。

5月

愛知県青商会ライン公式アカウントの配信をスタート。

6月

KYC愛知バイト情報をスタート。

9月

9月5日、第24回中央総会と青商会結成25周年記念放送「アプロ」にリモートで参加。

青商会結成25周年記念放送「アプロ」についてはコチラ。

10月

10月2日、愛知県青商会19期第1回拡大常任幹事会を開催。

10月30日〜31日、ヘバラギ学園が行われました。

第9回ヘバラギ学園リポートはコチラ。

最後に

19期前半期は、地域分担金集金や、財政管理体制を強化、財政事業の活性化により、黒字となりました。

また、今期はヘバラギチャリティーカップのチャリティー金で、東春初級にエアコン2台を寄贈、中高祭への抽選会賞品協賛も行いました。

ご協力いただいた皆さま、ご尽力いただいた会員の皆さまに感謝いたします。

25周年プロジェクト〜財政事業班編〜

2021年6月に、結成25周年を迎える愛知県青商会。

現在、25周年プロジェクト<イオ!愛知県青商会>が行われています。

地域活性化班、財政事業班、ウリハッキョ支援班、サラン学園班、25周年イベント班という5つの班にわかれ、プロジェクト成功に向けて活動しています。

今回は、財政事業班の班長にインタビューしました。

Q.自己紹介をお願いします。

A.25周年プロジェクト<イオ!愛知県青商会>財政事業班の班長、金庸鉱(きむ・よんがん)です。

愛知県青商会の財政部長と、尾張地域青商会の幹事長を務めてます。

一宮市出身の38歳で、建設業を営んでます。

人生のモットーは「想えば想われる」です。

Q.財政事業班の具体的な活動内容について教えてください。

A.大きく3つの財政事業を展開していく予定です。

1つ目は、アスクル販売店事業です。

これは、オフィス用品の通販でおなじみのアスクルの販売店として、契約店舗数を増やす活動です。

現在アスクルをご利用の方、新規の方問わず、FAX1枚で申請が可能で、購入金額の数%を販売手数料として、アスクルからいただきます。

アスクルご利用の方は、メリットもデメリットもないので、青商会活動にご協力いただける方にお願いをして、今年1年で県幹事の協力のもと、34社拡大することができました。

25周年プロジェクトの期間中に、愛知県青商会会員の協力を得て、122件拡大することを目標としています。

2つ目は、自動販売機代理店事業です。

自動販売機を設置していただくことで、売上に応じた手数料を、設置会社からいただきます。

数年前に青商会の先輩たちが興した事業ですが、会としてしっかり取り組めてこなかったことを反省し、25周年プロジェクト期間に対策を立て、12台設置を目標としています。

自販機を設置できる場所を紹介していただき、設置業者を紹介する形で進めています。

今後は、自動販売機で得た収入を、すべて愛知中高へ寄付する予定です。

3つ目として、新たな財政事業に取り組みます。

財政事業班で協議を重ねた結果、お中元、お歳暮シーズンのギフト事業に新たに取り組みます。

京都青商会の協力を得て、来年のお中元シーズンから本格始動いたします。

ギフトカタログから賞品を選んで、ファックスで注文していただき、送り先の情報をいただければ、責任を持って発送させていただきます。

現在、試験的にお歳暮ギフトに小規模で取り組んでいます。

ご興味ある方は、下記URLをご覧ください!

http://www.kyc-kyoto.com/gift/

※ご注文ご希望の方は、ラインアカウントに返信、または、県幹事長にご連絡ください。上記リンクのご注文手順は、京都青商会のものです。

Q.最後に、意気込みを聞かせてください。

A.財政事業班は、掲げた目標数字を必ず達成するという強い気持ちを持って、25周年プロジェクトに臨みます。

ただ、財政事業班のメンバーだけが頑張ったところで、目標数字は達成できません。

財政事業班が中心となって、会員たちの協力を得ることで、初めて目標数字が達成できます。

会員たちの力を集めて、目標を達成することで、後輩たちのための財政土台を築きます!

第9回ヘバラギ学園リポート

10月30日、31日の2日間に渡って、第9回ヘバラギ学園が行われました。

事務局として今回のヘバラギ学園に関わった、民族教育支援部呉賢圭副部長に感想を聞きました。

今年のヘバラギ学園は、実行委員会を2月に立ち上げ、当初は6月末から7月初旬の開催に向け動き出しました。

着々と準備を進める中、新型コロナウイルスの影響により、開催自体が危ぶまれる状況になりました。

実行委員会では、子供達のためにも何とかヘバラギ学園を開催出来ないかと協議を重ね、今年は変則的に6年生だけを対象として、1泊2日で開催することを決定しました。

青商会ではヘバラギ学園開催にあたり、文誠孝県副会長を共同学園長とし、クイズモイム進行班、映像作成班、ウォークラリー班をつくり、各班ごとに協力しながら準備を進めました。

開催1日目は、特別授業、全体交流モイム、クイズモイムが行われました。

開催2日目は、愛知中高に移動。

愛知中高紹介映像を見たあと、ウォークラリーを行いました。

6年生だけの少ない人数ながら、学生たちが心から楽しむ姿を見て、開催して本当に良かったと思えました。

卒業生だけでもヘバラギ学園の思い出を作ってあげたいという、中部ブロック青商会の想いの元、短い準備期間の中、ウリハッキョ先生たちを全力でサポートできたと思います。

いつも子供たちのためにがんばっている、ウリハッキョ先生と力を合わせたからこそ、子供達の笑顔に繋がりました。

来年は、記念すべき第10回のヘバラギ学園となります。

中部ブロック青商会が一致団結して、盛大なイベントにしたいと思いますので、宜しくお願いします。

“最高のバックアップ体制”で愛知バスケ界を盛り上げる

2019年9月、愛知朝中女子バスケ部が在日朝鮮学生中央体育大会で、創部史上初の優勝を果たす等、近年、愛知県ウリハッキョ(朝鮮学校)バスケ部の活躍が著しい。選手たちの絶え間ない努力が実を結んだ結果だ。

そしてその陰には、オンザコートの選手たちを全面的にバックアップする、OBたちの力があった。権勇錫県会長を筆頭に、青商会の最前線で活躍する会員たちも名を連ねる。

日々、多忙を極めるOBたちは、なぜそこまでアツくなれるのか?どのような活動を続けるのか?

その真相について、1999学年度愛知朝高籠球部主将であり、愛知籠球協会現理事長の金正吉氏が語ってくれた。

朝高籠球部OB会と愛知籠球協会の“強力タッグ”

ウリハッキョバスケ部強化のために、まずは朝高籠球部OB会と愛知籠球協会の差別化を図り、各団体の役割分担をより明確にすることから始めました。

実質、両団体に属するOBは被る傾向がありますが、「OB会」という名前を使うことによって、全てのOBの名簿を作成し、各年代ごとに連絡を取れる体制をつくることが出来ました。より多くのOBたちが、関わりやすくなったと思います。

結果、多くの協力を得られることとなり、学生達により良い環境をつくってあげることが出来ました。

具体的には金銭面の支援が主となります。練習や試合で用いる用具、例えば、バスケットボール、ビブス、ユニフォーム、練習着、練習器具等の購入に充てています。また、長期連休のあいだに行われる、強化合宿や遠征の援助金としても使用しています。

夏に行われるOB会では、学生たちの試合相手になり、アドバイスを送ったり、学校で焼肉を準備して、公式戦に向けて激励の言葉を送ったりしています。

一方で、愛知籠球協会の活動は、金銭面以上に技術的な支援が目立ちます。特に、初級部、中級部、高級部のバスケ部監督やコーチたちとの連携を強化しました。

定期的に協会理事長と会長、指導者たちとの合同会議を開き、各カテゴリーごとに報告をしてもらい、共に解決策を模索しています。そして、学生指導をより焦点化する目的で、外部コーチを派遣しています。監督やコーチと連携を深め、練習や練習試合、公式戦で指導に励んでおります。

2年前から協会とOB会が一体となり、新たな取り組みとして、チャリティーゴルフコンペを開催するようになりました。

2019年は約50人、2020年は約60人の人達が参加してくださり、多くのチャリティー金を集めることが出来ました。それは、すべて協会とOB会の判断で学生達の為に使わせて頂いています。

支援活動は“使命”であり“当たり前”

愛知籠球協会の理事長という大役を任せられ、少なからずプレッシャーはありますし、辛いこともあります。しかし、自分が学生時代だった頃を振り返ると、そこにはいつも愛知籠球協会や朝高OB会からの温かい支援がありました。

また、学生時代にバスケ部で過ごした時間があったおかげで、今の自分があると思いますし、今もその時の仲間や先輩達に支えられながら生きていると思っています。

バスケを通して、大事な思い出をつくれました。自分たちが受けたことを考えると、自分がOBの立場になって、支援活動を行うことは、使命であり当たり前のことだと思っています。

子供たちにも今だけではなく、今後も大切な思い出や、一生の仲間を作って欲しいと思っています。

しかし大前提として、それを実現させるためには、まずバスケ部自体の存続をしなければなりません。

少子化問題も相まって、ウリハッキョに通う子供達が減少している中で、バスケ部の存続を守る為には、部員を増やさなければなりません。部員を増やすためには、我々が環境を整えてあげなければなりません。とすると、支援することは必然だと考えています。

李延男会長の背中を追いかけて

私が活動を続けられる要因として、愛知籠球協会会長の李延男先輩の存在も大きいです。長年、愛知バスケ界に尽力されてきた大先輩ですから。高校時代の実績も輝しく、中央体育大会では幾度も優勝を経験している、本当にすごい選手です。

私は、愛知籠球団に所属していた時から、プレイ面でもプライベートの面でもお世話になりました。会長の“バスケ愛”には頭が下がります。

仕事や家族があるのに、愛知籠球団でも、他のバスケチームでもバスケを続け、常に高みを目指しています。ウリハッキョ学生への指導も怠りません。休日には練習や練習試合に参加し、大事な公式戦は、仕事を調整してでも向かいます。

また、最近では、中央青商会会長として、全国を訪れる機会も増え、とても多忙であったにも関わらず、一切の妥協も見せない、本当に尊敬できる人です。そんな会長の姿を見てきました。

今後もOBとして活躍してほしい

振り返れば、今このようにプライドを持って活動ができることは、朝鮮大学校を卒業した後、権勇錫先輩から誘われて、愛知籠球団の練習に行ったことが始まりです。当時は「騙された」と思いましたが、今はバスケを続けたことに何の後悔もありません。

今後も、学生たちがバスケを通して逞しく育ってほしいと思います。また、どんな大会や、目標の公式戦でも頑張って結果を残してほしいし、結果につながるような環境づくりをさらに強化していきたいと思います。

私自身、朝中時代、朝高時代とキャプテンを任されましたが、むなしくも大きな結果を残すことは出来ませんでした。その時の後悔はまだ残っています。

ですので、学生たちが、後悔することなく、無事学生バスケを終えられるように、私も全力で使命を果たしていこうと思います。

最後に学生たちへ伝えたいことですが、バスケ人生に終わりはありません。プレイを終えることはあっても、支援活動はずっと続きます。朝高を卒業後は、OB として、共に子供たちの未来のために頑張りましょう。

取材後記

取材を終えて、感じることがたくさんありました。愛知籠球協会・金正吉理事長はじめ、愛知バスケ界に関わるOB皆様の熱意に脱帽せざるを得ません。金正吉理事長からの言葉からも、力強さを感じました。

愛知朝高バスケ部と言えば、とにかく強いイメージしかありません。私が中1の頃の朝高バスケ部主将が、愛知籠球協会・李延男会長で、中央体育大会を圧倒的な点差で優勝したことを覚えています。

私はバスケ部OBではありませんが、ド素人ながらも5年ほど、朝高バスケ部のコーチを務めました。その時に、愛知籠球協会やOB会の温かい支援を肌で感じましたが、改めて今回の取材を通して、それを思い知りました。

今まで、愛知籠球団やOBたちの試合を数多く観てきましたが、愛知バスケの特徴は「上手さ」だと思います。華麗なパス捌きや、ドリブル、シュートフォーム、そして相手DFを綺麗に崩して得点を奪う攻撃スタイル。

それが愛知の DNAだとすれば、強いメンタルに加え、そのDNAを引き継ぎ、「愛知のバスケスタイル」で、全国の舞台で活躍する姿を見たいと思います。

(フルスロットル愛知第4号特集長編版)

第4号はコチラをどうぞ。