コリアン食堂物語〜最終話「同胞社会の継承のために」〜

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オープン初日目、コリアン食堂は大勢の客で賑わった。

キムチやビビンバ、ポッサム、プデチゲ、そして若者のあいだでは定番となった韓国屋台トーストサンド等、鮮やかな料理が並ぶ。その中でも、種類を多数揃えたチヂミ、ジャンボネギマは大人気だった。

また、チーズハッドクを担当したのは、尾張地域会員の娘たちであり、話題を呼んだ。本場の味を求め、一般客が大勢、足を運んでくれたことは、ボランティアで励む尾張・南地域会員たちにとっても、自信に繋がったそうだ。

「オソオセヨ!」と「カムサハムニダ!」が交互に飛び交う。調理場で汗を流すもの、元気に接客するもの。

一般客にとって、これがまさか、青商会活動の一環として、全員ボランティアで励んでいるとは、到底知らなかっただろう。しかし、これは紛れもない、青商会が産んだ、青商会による「コリアン食堂」なのだ。

現場責任者は、南から李舜麒会長、そして尾張から文誠孝前会長が担った。

文前会長は振り返る、「とにかく勉強になった」と。各許可申請は大変だったが、その過程で学んだことは多いそうだ。また、南地域からも刺激を受けた。

「南との合同開催ということで、試食会、打ち合わせを行ったが、南の本気度を感じた。毎週土日に営業する大変さはあったが、尾張、南個々に時間を割いて、目標のために一生懸命営業していたことを肌で感じた」。

順風満帆ではなかった。新型コロナウィルスが邪魔をした。

1月中旬から約1ヶ月間の休業を迫られた。限定オープンということもあり、店頭に立てない寂しさ。売上に対する不安もちらほらと。

お客は連日訪れていたが、実際に利益という結果につながるのか。不安が募れば、地盤が緩む。しかし揺れなかったのは、総責任者の高博史氏。

「もう一度、本気でやろう」。

お客様の安全を守るため、コロナ対策をより一層強化した。再オープンのチラシを作成し、一日に何百枚と配った。

2021年2月20日。コリアン食堂は営業を再開した。3月28日のオーラスまで、およそ1ヶ月。

お客は裏切らなかった。一般客もさらに徐々に増え、同胞たちもたくさん駆け付けた。三重県からわざわざ訪れた仲間もいた。三重県青商会のメンバーだ。

30年前の教師たちも訪れた。第三(チェーサン)時代のソンセンニンご夫婦だ。地元の港区で、教え子たちが、頑張っている。その姿に鼓舞されたと。

嬉しさを上回る、嬉しさだった。「コリアン食堂は言わば、同胞たちが互いに再会できる場になったような気がした。そんな場を創造し、提供できたことが何よりだった」。

2021年3月28日、コリアン食堂は閉幕した。最終的な利益は、協力金も含めて、およそ260万円。

短い期間であったが、彼らはやり切った、出し切った、走り切った。あれから2ヶ月が過ぎ、高博史氏は振り返る。

「他地域との合同開催という初の試みで、難しいこともあり、互いにぶつかったこともあった。しかし全員が『奉仕』の気持ちを忘れず、最後まで励んでくれた。

また、今までの財政活動の経験が、この場でも活きたはず。そう考えると、今までの積み重ねは全く無駄ではなかったし、このような結果に繋がったと思う。

コリアン食堂に足を運んでくれた皆様には、感謝の気持ちでいっぱい。彼らは、きっと、『自分たちの顔を立てに来てくれた』。お互いに助け合うことが、いかに重要かを感じた。これからも全力で『奉仕』していこう、そう決意させられた」。

思えば、何もない状態からのスタート。尾張が立ち上がり、南が加勢した。彼らは、一歩一歩、着実に歩み、「コリアン食堂」を築き上げた。

「短期で店を構え、限られた時間の中、スタッフ全員であらゆる事を、知恵を出し実行して、つまずいても互いに助け合い、愚痴を飲み込み、乗り越えれたことが、次のChanceに繋がった」と未来を見据え、

高氏は「総責任者として、尾張、南のメンバーにわがままをたくさん言ったが、このメンバーじゃなかったら、やり遂げれなかったと思う。ありがとう」と、感謝の気持ちを述べた。

コリアン食堂を終えた今も、とどまることを知らない。

「愛知県青商会を立ち上げた諸先輩方、特にキョンドゥ兄から肌で感じさせてくれたことは、自分に大きな影響を及ぼしてくれた。

そんな同胞社会が「継承」していけるよう、ボランティア事業は続ける。我々は、今もどこかでボランティアに取り組んでいる」。

―完―

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